7月の法話(令和6年)
「自分で自分を縛って苦しんでいるのが私たちかも・・」
【今月の法語】
もろもろの生死勤苦の本を抜かしめたまへ(仏説無量寿経)
【語句説明・豆知識】
◎生死勤苦の本を抜く(しょうじごんくのもとをぬく)これは、阿弥陀如来様が、ご自身がさとりを得て仏になった時には、すべての人たちの迷いの原因を取り除きたいという願いです。
阿弥陀様の誓いの言葉ではありますが、「生死勤苦の本を抜く」ということを私たちの生活の上で考えてみますと、私たちは何によって苦しんでいるのか、何が私たちを縛っているのか、その原因の正体を知ることによって、私たちを縛っている苦しみから解放されるということをあらわしているといただくこともできます。
親鸞聖人が七高僧のおひとりと仰がれた、中国の僧侶・曇鸞大師(どんらんだいし)の『往生論註(おうじょうろんちゅう)』という書物の中に、「蚕繭(さんけん)の自縛(じばく)するがごとし」という言葉があります。蚕が自分で吐いた糸で作った繭で自分自身を縛りつけるように、人間も自らの言葉や考え方、様々な行動によって自分たちを縛って苦しめていることを示している喩です。もちろん、蚕は自分が成長するために、自分に合ったサイズの繭を作ってそこでさなぎになり孵化します。自然の営みなのですが、曇鸞大師はその姿に、私たち人間が自分で自分を縛って動けなくなる苦悩の姿を重ねて見られたのでしょう。
私たちを縛り付けているものはたくさんありますね。たとえば「男性はこうなければならない」「女性はこうなければならない」という性差による決めつけは今日でもしばしば見聞きするものです。テレビで報道されていましたが、ある伝統的なお祭りが存続の危機に立っていました。その理由の一つが、「祭りのメインとなる部分は男の役割で、まつりの裏方、特に接待は女の役割」という昔ながらのしきたりが女性に多大な苦労を掛けていたということでした。その祭りに関わる町内会の方々が、今回町内の若い女性の方々も交えて意見交換をして、何とか規模縮小しながらも存続可能になったようなのですが、その報道の中での「私たちだけ女性だけじゃなくて、男性だって荒々しいことがいやでむしろ接待が好きという方もいらっしゃると思います。要は決めつけじゃなくみんなでお互いの良いところを大事にすることじゃないでしょうか」という女性の発言がとても印象的でした。
私たちは、昔からこうなっているということに幾重にも縛られ囚われて、みんなどう考えているのか、どう思っているのかを語り合うことがなかったり、後回しになってしまっていたのかもしれません。私たちを縛り付けていたものの正体をみんなで考え、より良き方向性を語り合って変えていくことができれば、縛りから解放されるのです。思考を変え、言葉を変え、行動を変えたら己を取り巻く世界を変えることができるということです。
「ダイバーシティ」という言葉をよく聞くようになりました。ダイバーシティ(diversity)とは「多様性」のことで、人種や性別、年齢、障がい・病気等の有無など、様々な要素を持つものが共存する状況を指す言葉です。
今日では、人間同士はもとより、「生物多様性(biodiversity・バイオダイバーシティ)」ということも注目されるようになってきました。地球上の様々な環境の中で適応進化した多種多様な生物(人類を含む)が、様々な形で関わり合いながら暮らしている状態をあらわす言葉ですが、この考え方に基づいて私たちが地球の一員として生活の在り方を考えていく大切さを提起しています。これまでのとらわれた考え方を離れて、みんなで一緒に生きていくという思いを持つことが最終的には私たち一人ひとりがその人らしく生きていくことができるのです。