【今月の言葉】
ありがとうと いえる 私
感謝するとき、私たちは「ありがとう」という言葉を発します。この「ありがとう」という言葉は、諸説ありますが、特に仏教に由来しているともいわれています。お釈迦様の言葉をまとめた『法句経』の中に「ひとの生をうくるはかたく、死すべきものの、生命あるものありがたし」という一節があります。「ありがとう」は漢字で表記すると「有り難う」であり、本来の意味は、命の貴重さや尊さに対して感動を表明した言葉なのですが、それが次第に感謝するときにも言われるようになったそうです。
以前小学生をつれてあるお寺にお参りしたとき、お話をしてくださる住職さんが「みなさんにクイズを出しますね、みなさんは感謝するときに『ありがとう』と言われると思いますが、『ありがとう』の反対の言葉が分かりますか?」と笑顔で尋ねられました。普段そんなことを考えることもなかったでしょうから、みんなが首をひねっていると、「実はね、ありがとうという言葉は『有ることが難い』という意味です。私が生きていることも、お友だちと一緒にいることも、私たちは『そんなの当たり前のこと』と思いがちですが、そうではないんですよ。」と話され、「今、もう答えを言いましたが、分かりましたか?そう『当たり前』が反対の言葉です。当たり前のことなんて一つもない、全部「有ること難い」ことなのに、私たちは何でも『当たり前』と思っていませんか。『当たり前」のことなんて何一つないんですよ。今日はそのことをみんなで考えてみてくださいね』と静かにお話してくださいました。このあと、ほんとうは当たり前じゃないことをみんなで出し合いました。当たり前じゃないから「ありがとう」と感謝しないといけないね、という言葉が子どもたちの中から生まれてきました。
そうなんです。「有り難い(ありがとう)」の言葉の反対は「当たり前」なのです。朝、目が覚めることは当たり前のことと思いがちですが、必ず目が覚めるとは限らないのです。仏教では、すべてが変化して止まるものはないことを 「諸行無常」と教えています。またすべてのことはつながりの中に支え合って成り立っていることを「因縁生起(縁起)」と教えています。この世界に当たり前のことは一つもなく、すべて有り難いことなのです。ある方が言われました。よりよい幸福は『ありがとう』のたった一言で生まれてくるものなのです。私たちは一人のはたらきで生きているのではありません。すべてを縁として生かされているのです。