1月の法話|お知らせ

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お知らせ

2026.01.01

法話

1月の法話

悲しみが優しさに


火の用心 マッチ一本 火事の元


(ひ)要心(ようじん) 悲しむ心は 慈悲の元


今月の言葉は、防災の標語である「火の用心 マッチ一本 火事の元」を少しもじって考えたものです。私は、私たちを悲しむお心が、阿弥陀仏の慈悲の要であるといただいております。


 


 私は映画やアニメを観るのが好きなのですが、皆様はドラえもんの「のび太の結婚前夜」というお話をご存じでしょうか。物語の中でのび太は、将来しずかちゃんと結婚できるか不安になり、タイムマシンに乗って自分の結婚式を見に行くことにしました。のび太とドラえもんは結婚式前日に到着し、それぞれの様子を見に行きます。その中で未来のしずかちゃんの様子を見に行くと、ちょうど結婚式前夜に両親とのお別れパーティーを終え、お父さんにおやすみの挨拶をするところでした。そこで未来のしずかちゃんはお父さんに「うまくやっていけるかしら」と不安を口にします。それに対してお父さんは、次のように言いました。


 


のび太君を信じなさい。のび太君を選んだ君の判断は正しかったと思うよ。あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それが一番人間にとって大事なことなんだからね。


単純なことのようですが、大人になって今一度聞くと改めて大切なことだなぁと考えさせられます。私たちは生きていく中で、悲しい出来事から逃れることは難しいです。しかし、その悲しい経験があるからこそ、人の悲しみに心を寄せることができるのではないかと思います。


 このように、「慈悲」は「慈(いつく)しみ」「悲しみ」と書きますが、私たちは大切な存在を慈しんだり、人の悲しみを自分のことのように悲しんだりすることができます。一方で、親鸞聖人は私たちのそういった心は「すえとおらない」とご自身の身をもって頷かれました。それは、どれだけ慈しみ、悲しんでも、思い通りに救うことはできませんし、家族や友人と赤の他人との間にはやはり差が生じます。それどころか、「愛は憎しみに変わる」「人の不幸は蜜の味」ということもあります。


 対して阿弥陀仏の慈悲は、「大悲」「無縁の慈悲」といわれます。それは、縁の有る無しを超えた、すべてのものを慈しみ悲しむお心です。親鸞聖人は、お互いに慈しみ合って生きていきたいと願いながらも、なかなかそのように生きていけない私たちの姿を悲しむ阿弥陀仏のお心に触れられました。しかし、親鸞聖人は決して私たちが持つ慈悲の心を否定したり、開き直ったりしたのではありません。むしろ私たちは、その限界性に気づけたときにこそ、他者の悲しみへの向き合い方を変えていくことができるのではないでしょうか。