1月の法話(令和5年)
あらゆる命が幸せでありますように
【今月の法語】
「目に見えるものでも、みえないものでも、遠くに住むものでも
近くに住むものでも、すでに生まれたものも、これから生まれようと欲するものでも
一切の生きとし生けるものはしあわせであれ」
経集「スッタニパータ147偈」
【法 話】
説明:経集「スッタニパータ」とは・・・仏教の最初期のパーリ語による経典です。スッタは経、ニパータは集まり、二つをあわせて「経集」となりますが、多くの翻訳は『ブッダのことば』と題しています。その用語や内容などからみて、現在伝わる経典中の最古の資料と考えられています。全5章よりなり、その第4章だけが独立の経として漢訳された(『仏説義足(ぎそく)経』)ほか、一部が個別的に引用されて漢訳もあります。それら諸経典への引用からしても、古い時期に成立していたことが知られます。主要部分はすべて詩(韻文)で、計1149詩を数えます。ただし説明のための散文がところどころについていて、その内容はきわめて素朴で平易でありつつ、人生の真実にそのまま触れ、仏教語を用いずに、お釈迦様の教え、ないし原始仏教の核心を、むしろ淡々と語っており、仏教思想の源泉を知るのに最適の書といわれています。(コトバンク参照)
「一切の生きとし生けるものは幸せであれ」という有名なこの句は、南伝仏教の国々(スリランカやタイなど)では、慈しみの偈として唱えられているそうです。実際に今回ご紹介している147偈の前の145偈にも「他の識者の非難を受けるような下劣な行いを決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」と示されています。何度も何度も「一切の生きとし生けるものは幸せであれ」と言われているのです。これらの句はあたたかい言葉がつづられていて、読み心地もよく、すっと読み通してしまいそうですが、じっくりと考えてみますと、この「一切の生きとし生けるものは幸せであれ」という言葉はとても重い言葉なのではないか、私たちに何かを問いかけている言葉なのではないかとも思います。
ロシアとウクライナの戦争をはじめとする国家間の戦争、また国内での国民同士の対立や紛争、武力を用いてはいないとはいえ、世界各地で様々な対立が後を絶ちません。また自分の身近なところに目を向けても、諍いや争いごとがたえません。そして自分自身の心を見つめてみても、怒りや嫉み妬みの心が見え隠れしています。私たちは自分たちの仲間、仲良くしているものが幸せであることは願いますが、逆に敵対する存在や嫌いな存在が「幸せである」ことまでも願っているかと問われると、自信をもって「はい」とは言えないように思います。私たちは敵と味方を作って生きている悲しい存在なのかもしれません。だからこそ、この言葉に込められた深い慈しみの精神を繰り返し自分に言い聞かせ、問いかけながら、それぞれの人生を歩んでいくことが大切だと教えられているのではないでしょうか。
お釈迦様の言葉を日本語に訳して、私たちにわかりやすく伝えてくださった、仏教学者の中村元博士を記念して建てられた島根県松江市八束町にある中村元記念館にある慈しみの碑にはこのように刻まれています。
一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
一切の生きとし生けるものは幸せであれ。
何人も他人を欺いてはならない。
たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。
互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
この慈しみの心づかいを、しっかりとたもて。
ブッダのことば 中村元訳