1月の法話(令和4年)
いつでも仏さまとご一緒です。
大丈夫、大丈夫。
【今月の法語】
弥陀仏の本願を憶念すれば 自然に即の時に必定に入る (正信念仏偈)
【法 話】
本願(ほんがん)とは
本来の願いという意味です。もとからの誓願や本懐とも表現します。仏教では菩薩が、衆生(しゅじょう・命あるものという意味)を救済するために起こした誓願のことを指します。浄土真宗のご本尊の阿弥陀如来は四十八の願い(四十八願とも、本願とも言います)で、他にも薬師如来の十二願などがあります。阿弥陀如来の四十八願は、どんな時もどこにいて、私とともにいてくださり、私を必ず浄土に迎えて仏のさとりを開かせたいという願いです
憶念(おくねん)とは
記憶して心にとどめておくことです。仏教の浄土に往生することを説く教えでは、ご本尊である阿弥陀如来を常に心にとどめて居て忘れないという意味に用いていますが、親鸞聖人は私たちの心持というよりも、私たちのことをどんなことがあっても忘れないという、阿弥陀如来の慈悲の心をさし、私の上ではその阿弥陀如来の心に気づき受け止めるということ、つまり信心という受け止めをされています。
自然(じねん)とは
自然(しぜん)と読む際には、生来 (しょうらい) の状態のままであること、たとえば、空や木、太陽や月など、人間の働きによって生まれたものではないもの、手を加えられていないものを指しますが、自然(じねん)と読む際には、おのずからそうであることという意味です。親鸞聖人は「自然法爾(じねんほうに)」と言い、それ自身の法則にのっとってそのようになっていること、つまり阿弥陀如来のはたらきによって私たちは浄土に生まれ仏にならせていただくのであって、私たちは私たちの力(例えば命の長さや亡くなる時の姿など)で仏になるのではないと教えてくださっています。
必定(ひつじょう)とは
そうなると決まっていること。必ずそうなると判断されること。また、そのさまを意味します。特に仏教においては、必ず仏になる(迷いを離れてさとりを開き、自分だけでなく、すべてのいのちのために働くこと)と決まっているということです。浄土真宗では、私の努力によってそうなるのではなく、私のことをいつでもどこでも見ていてくださり、どんなことがあっても見捨てること手放すことがないという阿弥
陀如来のはたらきによって、「そうなることに決めていただく」のです。
今回は、言葉の説明をしましたが、すべてが阿弥陀如来がいつでも私と一緒にいてくださり、必ず浄土に迎えると誓ってくださっていることを語っています。だから「いつも仏さまとご一緒です。大丈夫」なのです。ちなみに、大丈夫の意味は「あぶなげがなく安心できるさま。強くてしっかりしているさま。まちがいがなくて確かなさま」です。