12月の法話(令和6年)|お知らせ

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2024.12.11

法話

12月の法話(令和6年)

自ら(みずか)灯明(とうみょう)とし自ら(みずか)所依(しょえ)とせよ


(ほう)灯明(とうみょう)とし(ほう)所依(しょえ)とせよ


今月の言葉は、お釈迦さま80年のご生涯最後の言葉と言われるものです。


お釈迦さまは、弟子の阿難さまとともに、晩年まで伝道教化の旅を続けられました。そしてとうとう最後の時がやってきました。旅の途中に体調をくずし、阿難さまに別れを告げられるのです。


その時阿難さまは、お釈迦さま亡き後の自らの歩む道に不安を抱き、泣きながら「師が亡くなられた後、私は誰の教えによって悟りの道に入ることができるのでしょうか」と質問されました。これに対して、お釈迦さまは「阿難よ。嘆き悲しむのをやめなさい。親しきものは離れ、栄えるものは衰えるということは常に語ってきたではないか。世は無常で、生まれたものは必ず死にいたらなければならない」と説かれました。


そして、私が亡き後は、「自らを灯明とし自らを所依とし、法を灯明とし法を所依とせよ」と教え、ひたすら勤め励むべきことを説かれました。


 自らを灯明・依りどころとするということは、なんとなく理解できるような気がします。人生を渡る上で一番頼りになるのは自分自身だったということは、誰しもが経験することだと思います。健康に留意し、仕事や勉学に励み、家族仲良く、社会や職場で活躍するような自分になっていく、自分を良く整えるということが大切だと思います。


しかし、大病を患ったり、年老いて衰えたり、死を迎えたり、愛する人と死別したり、いくら頼りになる自分に整えようと努力してもどうにもできない苦しみ悩みが出てくるのが人生ではないかと思います。大切なものを失い道に迷うことが出てくるのが、人生ではないでしょうか。


私たちはたくさんのものをたよりとしながら、拠り所としながら生きています。多くのご縁の中で生かされている私たちですから、拠り所がたくさんあることは大切なことです。ただその依り所が、どんなことがあっても変わることがないものであるかと問われると、「絶対大丈夫とは言えない」のです。大丈夫と思っても、諸行無常ですからあらゆるものは変化していきます。加えて私たちは縁(諸条件)の中に生きていますから、拠り所も容易に変化し、たよりにならないものになってしまいます。


そんな中で、私を必ず救うと仰ってくださっている阿弥陀如来のお心だけは変わることなく私のまことの拠り所となってくださいます。阿弥陀如来か必ず救うと仰っているお心を素直に受け止めて、必ず見てくださっている方がいらっしゃるという安心をいただきながら、惑い多き人生を歩ませていただくのが浄土真宗の教えです。


お釈迦さまが「法を灯明とし法を所依とせよ」と言われたことの意味は、ここにあるのです。

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