老いたる人も 若き人も 日々あらたな命
2025年 新年明けましておめでとうございます。
日本はいま、男性女性共に世界一の長寿国ですが、100年前日本人の平均寿命は男性で42歳、女性で43歳でした。現在ではまだまだこれから活躍という年齢です。そう考えてみますと、当時は今の私たちよりもはるかに、日々を生きるということは「あたりまえ」ではなかったでしょう。そんな中で「あけましておめでとう」という言葉が交わされるようになったそうです。めでたいということの根っこには「あたりまえでない今の命をいただいている」という思いがあったのでしょう。何気なく目が覚めてあたりまえと思う生活の中で、突如して病気になったり身近な方の死に出会ったりとすることで、今の自分の何気ない毎日があたりまえではない事が知らされます。
私たちは生まれた時から「死」をかかえた存在です。どれほど隠そうとしても「死」という不安をかかえているのが私たちです。お釈迦様は人間の実相は四苦八苦の世界であると教えてくださいました。四苦とは「生・老・病・死」であり、これに「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦」の四つを合わせて八苦といいます。ここで示される「苦」とは「苦痛」という意味よりも、むしろ「自分の思い通りならない」ことだといわれます。人生とは何一つとして自分の思い通りにはならないことを教えるのが仏教であり、思い通りにならないことを我が人生と受け止めていき、精一杯に生きていくことを教えるのが仏教です。お釈迦様は原始経典に「世のつねの人びとは、この避けがたいことにつき当たり、いたずらに苦しみ悩むのであるが、仏の教えを受けた人は、避け難いことを避け難いと知るからこそ、深く悩むことがない」と、説かれてあります。
確かにそう生きていくことができたらよいのですが、私たちは誰しもが「なんでも自分の思い通りになってほしい」という思いを強く持っています。だからこそ私たちはままならない現実の前に立ちすくんだり、怒りを覚えたり、絶望したりしなければならないのです。そういう私を放っておけない仏様がいらっしゃいます。そのほとけさまを阿弥陀如来と申します。その阿弥陀様の願い(弥陀の本願)を受け止めた姿が、南無阿弥陀仏(念仏)となって私のところに届いる証です。阿弥陀様の願いは私をつかまえ、けっしてすてることがないという働きであり、煩悩から解放されかならず仏さまとして生まれて行く世界に浄土往生していくのであります。この世に生を受けて死んでいくのではないのです。死を超えて行く道が開かれていくことで、力強く生きていけるのではないでしょうか。