人は出会いによって育てられ
人生は別れによって深められる
3月は卒業、クラス替え、転勤など、別れの季節であるといえます。これまで一緒に過ごしてきた人たちとお別れをすることは、やはり寂しいものです。しかし、そのお別れから「改めていい人たちだったなぁ」と存在の大きさを感じたり、「苦しいこともあったけど、この環境で成長することができた」と思ったりと、学ぶこと、気づき直すことも多いのではないでしょうか。
今月は京都にある東本願寺周辺の夜道を照らす法語行灯(ほうごあんどん)のお言葉からです。
私たちは生まれてから、家族や友達など、たくさんの人と出会います。一説によれば、1人の人と人とが出会う確率は0,004%なのだそうです。このように、尊い出会いであることは間違いありませんが、すべての出会いを尊いとはなかなか受け取れず、苦手だなぁと思うこともあるのではないでしょうか。しかし私たちは、好きな人だけでなく苦手だと思う人も含め、いろんな人との関わりの中でたくさんのことを感じ、学び、育まれています。
そして、人は生まれたからには必ずいのち終えていくのであり、ともに過ごした人たちともいつかは別れなければなりません。この苦しみをお釈迦さまは「愛別離苦(愛する人と別離(べつり)する苦しみ)」と説かれました。私自身これまで、祖父や中学時代の友人など、いろんな方とお別れをしてきましたが、やはりどのお別れもつらいものでした。しかし思い出を振り返る中で、何気ない会話の中にあったその人の想いに何年も経ってから触れたり、私が今ここに生きていることが当たり前ではないことを改めて感じたりすることがありました。1人ひとりとの思い出があるように、1人ひとりとのお別れからたくさんのことに気づかされるのです。
「愛別離苦」というように、大切な人との別れは確かに苦しみであるかもしれません。しかし、私たちはその苦しみからから本当に大切なことを見つめ直していくことができます。そのような気づきから、私たちのこれまでの人生、そして今、これからの人生が深められていくのではないでしょうか。
2月1日にお別れした寺猫「ちょび」
たくさんの思い出をありがとうございました