1月の法話(令和6年)
欲を張らずに、おだやかであるがままに
【今月の法語】
「小欲知足にして 染・恚・痴なし」(仏説無量寿経)
【語句説明・豆知識】
染 染汚(ぜんお・ぜんま・ぜんな)染は心がとらわれるという意味、煩悩で清らかな心を汚すこと
恚 瞋恚(しんい・しんに)怒ること、いきどおること、自分の心に逆らうものを怒り怨むこと
痴 愚痴(ぐち)仏の智慧に暗いことで、私たちの根本的な無智を指す
左の写真は、石庭で有名な京都の龍安寺にある蹲踞(つくばい)です。
この蹲踞は、真ん中の口を周りの4つの文字と組み合わせて「吾唯足知(吾、唯、足るを知る・・不満に思わず満足する心を知りなさいの意味)と読みます。「小欲知足」は仏説無量寿経にある言葉ですから、もちろんお釈迦様の言葉ですが、同じような意味の「吾唯足知」もまたお釈迦様の教えに由来します。実際に、お釈迦様の言葉を集めた「法句経」には、「知足は第一の富也」とあります。
ここで、この「知足」にまつわるお釈迦様のお話を紹介しましょう
お釈迦さまとバラモン(インドのバラモン教教の僧侶)たちのお話です。ある時、お釈迦さまはお弟子方を連れて、バイシャリーという町に行きました。この町の人々は、お釈迦さまを知りませんので、お釈迦さまのことを良く思わないバラモンたちは、「いま、この町に来ている釈迦はとても欲ばりの人で、その弟子たち同様だ。出されたものはなんでも持って帰るぞ」と悪口を言いふらしました。
この話を聞いていた長者が、「本当にお釈迦さまという人はそんな人なのか、私が確かめてみましょう」と町の人々に言いました。長者はお釈迦さまのもとへ行きお説法を聞いたあと、お釈迦さまに向かって「お釈迦さま、御供養の食事をお出しますので、明日、お弟子さま方とご一緒に私の家へおいで下さい」とお願いしました。お釈迦さまはだまってうなづきました。長者は家に帰ると、金・銀・水晶などの高価な食器をそろえさせました。
当日の朝、長者は料理を用意してお釈迦さまたちを迎えました。長者は、特に高価な食器にもられた料理をさしだしましたが、お釈迦さまはその食器を受け取りません。弟子たちもお釈迦さまにならって、誰も受け取りません。これを見て長者は、今度は自分が普段使っている食器に料理をもって、お釈迦さまにさしだしました。お釈迦さまは、今度は礼儀正しく弟子たちとともに料理をいただき、食べ終わると口をすすぎ、長者のためにお説法をして帰っていきました。
長者は次にはバラモンの僧侶たちを招いて同じように高価な食器に料理をもってさしだしました。するとバラモンの僧侶たちは、食事が終わると彼らは高価な食器を「長者からもらったものだ」と言って、持ちかえろうとしましたが、門番につかまり門前で大騒ぎになりました。
町の人たちも集まってきたところでそこへ長者がきて、「どちらが欲深いか皆さんよく分かったでしょう。お釈迦さま方は、礼儀正しく僧侶として分相応のものを望まれました。そして、みな少欲知足(欲が少なく、少しのもので足りることを知る)の心をもたれていました」と言いました。そして、このことがきっかけとなって、バイシャリーの町の人々は、お釈迦さまの教えを信じるようになったのでした。
町の人々にお釈迦さまは、「欲をすて分相応の生活をし、身をつつしむことが人々からの信用を生みます。お金や金・銀等の財宝にとらわれて、ぜいたくをのぞみ、欲ばりになってはいけません」と説いて聞かせました。
私たちも、常にあれが欲しいこれが欲しいと、常に満ち足りない心でいると、大事な自分自身の生活さえもこわしてしまい、周りの人々まで困らせてしまいます。大事なことは、本当に必要なものをもとめ、心が豊かになることなのですね。