11月の法話(令和4年)
どれほど誤魔化しても、取り繕っても、すべてお見通しなんですね
【今月の法語】
「煩悩具足の衆生は もとより真実の心なし、清浄の心なし、濁悪邪見のゆえなり」
尊号真像銘文
【法 話】
私たちは日々の暮らしの中で、自己中心(自分さえよければ)の思いを中心にして生きています。それは時にとても身勝手な思いや行動になって表れることもあります。私たちは誰もがこの身をもって生きている存在なので、ある意味仕方のないことなのですが、まっさらな心、どんな時も他者のことを尊重する心というものを持ちえないという煩悩具足の姿でもあります。その私たちの姿をすでに見抜いておられるからこそ、必ず救うという阿弥陀如来の誓いがあるのです。その誓いをしっかりと受け止めながらも、自分勝手な心を少しずつでもとどめて、お互いを認め合って生きることが仏教徒の生きる姿として求められています。
生物多様性(biodiversity)ということをお聞きになったことがある方も多いと思います。「生物多様性とは生きものたちの豊かな個性とつながりのこと。地球上の生きものは40億年という長い歴史の中で、さまざまな環境に適応して進化し、3,000万種ともいわれる多様な生きものが生まれました。これらの生命は一つひとつに個性があり、全て直接に、間接的に支えあって生きています。生物多様性条約では、生態系の多様性・種の多様性・遺伝子の多様性という3つのレベルで多様性があるとしています」(環境省ホームページより)地球上の生き物はバラエティに富んでおり、とても複雑で多様な生態系を持っているということをあらわしているのですが、この多様性がいま急激に失われつつありますが、それを壊しているのは他ならぬ私たち人間です。自分一人で生きていくことができないことは誰しもがわかっていますが、同様に一つの種だけで生きていくこともできません。大いなる命の繋がりの中にそれぞれの命があるという原点に返って、自己中心的な考え方から多様性を認め合う生き方への転換が求められているということです。
これは同時に人間の多様性(humandiversity)を認め合うということにもつながります。人間についていえば、性別・年齢・国籍などの「属性」の多様性と、価値観やライフスタイルなどの「思考」の多様性があります。 最近では、女性管理職の割合を増やす取り組みや、LGBTQ(性的マイノリティー)の話題が注目されていますが、これらも多様性を高める動きのひとつです。 しかしながら、多様性を認め合うということは難しい側面も持っています。それは私たちが特定の組織や共同体に所属する中で持っている価値観と多様性が相いれないということも往々にしてあるからです。 本来、人は一人ひとり顔や姿が違うように生き方も多様であるものですが、特定の組織や共同体に属する中で、特定の価値観を共有することによって、それ以外の価値観に対して否定的になってしまうことがあるのです。特に私たち日本は島国でもあるせいか同質なものを求める傾向が強いとも言われていますので、これからは多様性を意識的に考える生活が求められていると思います。
私たちが拠り所としている経典「仏説無量寿経」には「宮商和して自然なり(きゅうしょうわしてじねんなり)」と説かれています。本来多様なものがぶつかり合うのでなく、それぞれに見事に調和していることが真実であると教えて下さっているのです。また同様に「仏説阿弥陀経」には、「青色青光、黄色黄光(しょうしきしょうこう、おういきおうこう)」と説かれています。それぞれを認め合いながら見事に調和していると教えてくださっています。
この教えは多様性の時代に生きていく私たちにとっての大切な指針になると思います。