11月の法話(令和6年)
いのちの世界に思いをはせる
【今月の言葉】
散るとみたのは凡夫の目
木の葉は大地に還るなり 詠人不詳
暑かった夏の季節もいつの間にか過ぎ去り、だんだんと秋めいてきました。もうすぐすると、青々しい木々の葉っぱも色づきはじめ、冬を迎える支度をする頃です。
これからの季節になると大変なのが落ち葉掃きです。掃いても掃いてもすぐ葉っぱが落ちてきてすぐに元通りになってしまいます。そんな次々に葉っぱが落ちていく様子を見るとなんだか寂しい気持ちになります。
枯れた葉っぱが落ちていく様子に、いのちの終りを感じるからでしょうか。けれども、枝から離れ地面に落ちていった葉っぱにも大切な役目があります。地面に落ちた葉はやがて土にかえり土の中の生き物の餌となり、樹木の栄養となるのです。そして、また暖かくなるころに新たな命が芽吹きます。落ち葉一枚だけに着目してみるならば、地面に落ちることは終りのように思えるかもしれませんが、もっと広い視点からみてみると、落ちていった葉は消して終りではなく、落ちていった後もその命は受け継がれていくという見方ができます。
人のいのちのあり方も同じではないでしょうか。人は死んだらおしまいだという人もいますが決してそうではないと思います。たとえ姿は目に見えなくなろうとも、その人がいたという事実は消えることはありませんし、その人が生きてきた証は、その人と関わってきた人の中に確かにあり続けるんだという見方があります。
一人だけのいのちという視点で見ると死は終わりかもしれませんが、他者との関わり中にいのちを見ていくならば、そこには死では終わらない世界が開けてきます。いのちの始まり終わりというのは、はっきりと区切りを持って表せるものではなく、はるか昔から紡がれ、そしてこれからも続いていきます。どうぞこれからの季節、地面に落ちていく木の葉を見ながら、そこに紡がれていくいのちに思いを馳せてみてください。
※語句説明 凡夫(ぼんぶ) 仏教において仏教の教えを理解していない人や煩悩に惑わされている人を指す言葉です。聖人に対する言葉です。浄土真宗では私たちのことを指す言葉として理解されています。