「どんな時も私のことを大切にしてくださる方がいる」
【今月の法語】
もろもろの庶類のために不請の友となる 群生を荷負してこれを重担とす(仏説無量寿経)
◎不請の友(ふしようのとも) 仏教の言葉で、私たちが請わないのに進んで救済のために来てくださる友のことで、すなわち仏様や菩薩さまのことをいいます
◎荷負(かふ) 肩に担い負うこと、かつぐこと。特定の人や事柄を心にかけて護持することの意味です ◎重担(じゅうたん) 重い荷物・重い負担
たはむれに 母を背負いて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず
石川啄木 (一握の砂)
この歌は『一握の砂』の11首目に配置されていて、石川啄木の短歌の代表作として知られています。
石川啄木(本名石川一)は明治時代に活躍した歌人です。岩手県の出身で、文学で生きていくことを志して上京するものの、挫折を繰り返します。1910年に発行された「一握の砂」(啄木の上京以降の551首を収録。主に東京での哀歓をうたっている)で名を馳せます。けれども結核に罹患し27歳の若さでこの世を去ります。
この歌は「ふざけて母親を背負ってみたら、あまりにも母が軽いことに気が付いて、涙があふれてきて動くことができなかった」という啄木の心の動きが詠われています。自分が母親を背負うことになった時に、母親が年をとって小さくなってしまったことに衝撃を受け、これまで母親から受けてきた大きな慈しみと、その慈しみにお返しするどころか、いまでも苦労をかけ続けている自分を情けなく思い、啄木はこの歌を詠んだといわれています。
その腕に抱かれ、また背負ってもらうことで子どもたちは成長します。子どもにとって母親という存在はこの上なく大きな存在で、その腕に抱かれることで大きな安心を得ます。子どもにとってはいくつになっても母親は大きな存在です。でもその母親も必ず年をとり小さくなっていきます。啄木のこの歌が多くの方に愛されているのは、この歌に自分を重ねて、母親にかけた苦労と注がれた愛情の重さを感じるからなのでしょう。
お経の言葉は、「私が求めなくても、仏さまの方から私にはたらきかけてくださり、友となってくださる。そしてまた、私の苦悩をそのまま自らの苦として引き受けてくださるのだ」と教えてくださっています。前半の部分は、仏さまは私たちがお願いするから私に寄り添ってくださるのではなく、私がお願いする前から、或いは私がお願いしようがしまいが関係なく、私に寄り添っていてくださると教えてくださっています。私たちはついつい自分のお願いが先のように思いますが、決してそうではないのですね。そして後半の部分では、私たちを「重い荷物」として背負ってくださるとあります。私という存在は仏さまから見たら小さな存在なのでしょうから、私を担うくらい「軽くってどうってことない」のではないかと思うのですが、私を「重い荷物とする」と言われるのです。重い荷物とはどういうことなのでしょうか。
先の啄木の歌では、軽いはずの母親を背負って歩けなくなったのは、その母親からもらった慈しみの深さという「重さ」と、お返しできていない自分の情けなさという「重さ」が啄木の心に、ずしりとのしかかったからでした。仏さまが私たちを「重い」と言われるのは、どんなに小さな存在であったとしても、その一人ひとりにかける慈しみがとても深いからで、私という存在が仏さまの心からひと時も離れないからなのでしょう。仏さまの願いにはなかなか気づかず、自分を傷つけ人を傷つけながら生きている私だからこそ、仏さまはいつでも深い慈しみを注いでくださるのですから、慈しみに気づかず背を向けている私だからこその「重さ」なんだと、自分を恥ずかしく思います。