12月の法話(令和4年)
どこにいても何をしていても 仏様の慈しみの心の中
【今月の法語】
「阿弥陀如来は神通如意にして十方の国において変幻自在なり」
仏説観無量寿経
【法 話】

「西遊記」は多くの方々に知られたお話ですが、16世紀に中国(明)で大成した白話小説(中国では伝統的な文語文で書かれたものを「文言小説」といい、話し言葉に近い口語体で書かれた作品のことを白話小説と言います)で、唐の時代の僧侶玄奘三蔵(三蔵法師という名前が一般的に知られていますが、仏教の三蔵「経蔵」「律蔵」「論蔵」に精通した僧侶のことで、後には経典を翻訳する僧侶をこのように呼ぶようにもなりました。玄奘三蔵は三蔵法師のお一人です)が、白馬玉龍に乗って、三神仙(神通力を持った仙人ということ)である、孫悟空・猪八戒・沙悟浄を供に従えて、幾多の苦難を乗り越えて天竺(インド)に行き、経典を授かるというお話です。
1978年には、日本テレビで、三蔵法師に夏目雅子・孫悟空に堺正章・猪八戒に西田敏行・沙悟浄に岸部シローというキャスティングで放映されました。ゴダイゴが歌う「モンキーマジック」や「ガンダーラ」がヒットしました。1994年には日本テレビで唐沢寿明主演、2006年には、フジテレビで、香取慎吾主演で放映されるなど、国民的に人気の高い物語です。
この西遊記の中の有名にシーンのひとつに、お釈迦さまと孫悟空のエピソードがあります。
孫悟空は仙人に筋斗雲をはじめ72の術を習い、如意棒を手に入れて、天界にまで言って大暴れをします。見かねたお釈迦さまが悟空に言います。「私の手のひらから出ていきなさい。そうすれば天界の主にしてあげよう。けれども出られなかったら修行をやり直すのです」と。孫悟空は、そんなことは簡単!と、自分の神通力一杯で空を飛んで、これ以上遠いところは無かろうと思ったところに大きな柱を見つけました。そこで、「これは良い、自分がここまで来た証拠をこの柱に残してやろう」と思って「斉天大聖孫悟空」と大きく書きました。戻って来て、お釈迦様に「自分は世界の果てまで行ってきた。そこにあった柱に『斉天大聖孫悟空』と書いてきた」と誇らしげに言います。しかしながら、お釈迦様は笑いながら「悟空よ、 そなたが書いた言葉はこれか?」と手を広げられたところ、その手の指に「斉天大聖孫悟空」と書いてあったという話しです。

さて、このお話、お釈迦さまが孫悟空を懲らしめたお話のように思いますが、実は「我こそは一番」とおごり高ぶり傍若無人な振る舞いに明け暮れていた孫悟空を、深く慈しむお釈迦様の心が描かれたものでもあります。孫悟空はどんな時も、お釈迦さまの慈しみの手の中にいたにもかかわらず、そのことに気づきませんでした。ですからお釈迦さまが、慈悲に裏打ちされた智慧をもって孫悟空に自分自身の力の「愚かさ」を気づかせようとしたのです。お釈迦さまをはじめ仏様方は、私たちを懲らしめることを目的とすることはなく、深い慈しみの中で、煩悩にまみれた悲しい姿に気づかせ、支え、導こうとしてくださるのです。そして、さほど傍若無人な振る舞いをしてはいない!と思われるかもしれませんが、心の中をのぞけば「自分さえよければ」と生きている私たちもまた孫悟空であるのかもしれませんよ。
「阿弥陀如来は神通如意にして十方の国において変幻自在なり」とは、どんな手立てをもってしてでも、私たちを気づかせ・支え・導こうとしてくださる阿弥陀如来さまの、慈悲に裏打ちされた智慧のことです。どんな時も私を慈しんでくださる阿弥陀如来さまのお心を聞かせていただきながら、いつでも自分を振り返りながら日々を歩ませていただきたいものです。