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9月の法話(令和2年)

9月の法話(令和2年)

聞くだけで救われます

光明てらしてたえざれば 不断光仏となづけたり 聞光力のゆゑなれば 心不断にて往生す(浄土和讃 讃弥陀偈讃)

「聞き違い」ってよくあることだと思いませんか。
人に何かを話した時に、私が伝えたかったことと、相手が聞いていることに違いがあった、という経験を皆さん持っていらっしゃるのではないでしょうか。話した事柄・内容が違うということもあれば、話した心持ちが相手には違う形で受け取られているということもまた良くあることです。「そんなことは言っていませんよ」とか、「そんなつもりで言ったのではありません」と訂正するのですが、それもなかなか通じないということもあります。

聞くという単純に見える作業なのにどうしてこんなとことが起こるのでしょうか。理由はいくつか考えられますが、大きな理由の一つとして、話す側よりも聞く側に問題があり、聞く側が「自分の勝手な思いで聞いている」からではないでしょうか。例えば人が話すのを聞いている時に、自分に似たような経験があったり、自分が知っている事柄であったりすると、しっかり聞かずに分かったような気持ちになるということがある様に思います。また相手の考えをそのまま受け止めるのではなく、自分の価値基準に照らして評価してしまったりということもあります。また、言葉の選択一つ一つも難しいもので、話す側が使った言葉の意味と、聞き手とではその意味が異なってしまうということもあります。例えば親しみを込めて「ばかだなあ」と語ったとしても、聞いた側が「あの人にばかと言われた」と受け取られてしまうと、争いのもとにもなりかねません。

このように、とても単純な作業のように思える「聞く」ということも、実はなかなか難しいもので、聞き違うと感情がもつれたり、争いになったりしてしまうものでもあります。

浄土真宗では、他の仏教宗派のように『修行』ということが強調されません。その代わりに『聞く・・聞法(もんぽう)や聴聞(ちょうもん)』ということが大事といわれます。厳しい修行に比べれば聞くことは簡単なように思われがちで、「浄土真宗は楽だなあ」と言われることもしばしばです。けれどもこれまで語ってきた「聞き違い」ということを思い出してください。簡単な作業にみえる『聞く』は、実は常に自分の思いで聞く、自分の都合の良いように聞く、ということがつきまとい、そのまま聞くということはとても難しいものです。

浄土真宗は阿弥陀様のおこころを聞く教えです。阿弥陀様の教えを聞くということは、自分の思いで聞く、自分の都合の良いように聞くという自分勝手な私を救うと言われる、阿弥陀様のおこころを聞くということです。ここにも聞き間違いがたくさん起こります。一つは、私はそんなに言われるほど自分勝手ではないぞと、自分の本当の姿をごまかしてしまうことです。もう一つは、そんな身勝手な私を救うと仰っているのであれば、私があり方を正す必要はないので好き勝手に振舞っていいんだ、という聞き方です。いずれもあなたを必ず救うと言われる阿弥陀様の心を聞き間違っていると戒められる聞き方です。

聞くだけで救われますと浄土真宗は言います。けれども素直にそのままに聞くことが難しいのがこの私です。なので一度二度聞いてわかるというのでなく、何度何度も聞いていくこと、生涯聞き続けていくことが大切だと言われているのです。


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