8月の法話(令和2年)
8月の法話(令和2年)
人あればあるにつけて憂いはつきない
また、なければないにつけて またそれを欲しいと思う
お釈迦様とお弟子のお話です。
ある日お釈迦様が、雪を頂くヒマラヤの山々を指さしてお弟子に尋ねました。
「あるヒマラヤの積む雪をすべて金に変えたとして、はたしてどれだけの人の心を満たせると思うか」と。
お弟子は考えます。あれほどの雪だから、それが金になったら多くの人の心を満たすだろうと。
けれどもお釈迦さまは静かにこうおっしゃいます
「たとえあの雪をすべて金に変えたとしても、一人の人の心も満たすことはできない」と。
あなたはどう思いますか。
そんなことはない、と思われますか。それとも・・。
人はたくさんのものが手に入ったとしても、もうこれで十分と思えるものでしょうか。
仮に欲しいものが手に入ったとしても
もっと欲しい、まだ足らないと、その欲望はさらにさらに大きくなっていきませんか。
そして、挙句のはては友達や家族まで、この財宝を狙っているのではないかと疑心暗鬼になり
孤独に陥ってしまうこともあるかもしれません。
お釈迦さまは、私たちの最も弱い姿を教えてくださったのですね。
ヒマラヤの雪をすべて金に変えても、
人の心にもっともっとという貪欲の心を生み出すだけであれば、それは本当に悲しいことですが、
でも私たちはそんな可能性も持っている存在だということは胸に刻んでおきたいですね。

こんな文字を見たことはありますか?
石庭で有名な京都の龍安寺のつくばい(漢字で「蹲踞」と書き、その名の通り跪いて使う手水の形式のこと)に書かれた文字として有名です。実際にご覧になった方もいらっしゃると思います。
これは「吾唯知足(われ、ただ、足るを知る)」と読みます。
この「吾唯足るを知る」という言葉は、際限なく求めるのではなく、自分にとって本当に必要なもの、必要な量を知る。そしてその必要なもので満足するこを知る、ということです。
大切なのは「自分にとって」の必要を知るということと、これで十分という満足を知るということです。他人と比べてではなく、何が自分にとって必要で何が不要なのかをきちんと見極めることも大切ですね。
環境分野で初のノーベル平和賞を受賞したケニア人女性ワンガリ・マータイさんという方がおられます。マータイさんが、2005年の来日の際に感銘を受けたのが「もったいない」という日本語でした。
彼女はこう考えました。環境3R+Respect=もったいないと。
Reduce(ゴミ削減)、Reuse(再利用)、Recycle(再資源化)という環境活動の3Rをたった一言で表せるだけでなく、かけがえのない地球資源に対するRespect(尊敬の念)が込められている言葉こそが日本人が大切にしてきた言葉「もったいない」だと。マータイさんはこの言葉を環境を守る世界共通語「MOTTAINAI」として広めることを提唱しました。こうしてスタートしたMOTTAINAIキャンペーンは、地球環境に負担をかけないライフスタイルを広め、持続可能な循環型社会の構築を目指す世界的な活動として展開しています。