~つながる・集う・育つ~ 妙行寺ホームページへようこそ

6月の法話(令和2年)

6月の法話(令和2年)

原文:仏法には明日と申すことあるまじく候ふ。仏法のことはいそげいそげ【蓮如上人御一代記聞書】

現代語訳:仏法においては、明日ということがあってはならない。仏法のことは、急げ急げ


新型コロナの影響で自宅にいる時間が多くなったようだ。そのことで色々な弊害や発見もあると聞く。
あるタレントは、「日頃妻がどれだけのことをしてくれているか少しわかったような気がした。そのことを思うといたたまれなくなり、何か役に立とうと食後の食器洗いを買って出た。しかし日頃からやったことの無い初めてのことであったので、妻のように丁寧に洗うこともできず、結局妻が洗い直し、さらに負担を掛けることとなってしまった。申し訳なかった。」と言っていた。その話を聞いて思い出したのが東井義雄先生「妻」の詩だ。



「何もしてあげることができなくてすみません」 ポツリとそんなことをいう妻  
「なんにもしてあげることができなくてすまん」のはこっちだ 着るものからたべるものからパンツの洗濯までしてもらってばっかりで なにもしてあげることができなくて」いるのは こっちだ   
しかも 妻に 「すまん」といわれるまで 「すまんのはこっちだ」ということにさえ気がつかないでいた  こっちこそ ほんとにすまん。

「東井義雄詩集」より

食事や洗濯、身の回りのことなど、整っているのが当たり前と思っていたのが、妻の「何もしてあげることができなくてすみません」の一言により初めて、「当たり前のことではなくそれを整えて下さる方があった」ということに気づいたという先生の言葉はとても身に染みるものだ。

毒蝮三太夫さんが以前テレビで妻のことを表現された話だが、「妻を自分の妻と思っちゃいけない。隣の奥さんと思えば自然と感謝の気持ちが出てくる。」「隣の奥さんが私の為に食事を作って下さる。有難う。」「隣の奥さんが私のパンツを洗って下さる。有難う。」…と。

私たちはともすれば不平や不満、欲や煩悩が日々の生活の中で沸々と湧き出てくる。お釈迦様の言葉に「人は生まれたときには、実に口の中に斧が生えている。愚者は、その斧によって自分を断つのである。 」と悪口を戒めた言葉がある。仏教には「身業(身体による業)、口業(口による業)、意業(心による業)」という三業がある。その三業がまさに「苦」の根源ともなる。そのことに気づくことによって自分を見つめなおす縁となる。仏法に触れるということはまさにその「気づき」である。私の身に備わっている三業。ここによくよく耳を傾け当たり前と思っていることを「恥」と知らしめる「気づき」。妻という詩が教えて下さっている。

蓮如上人がお勧めくださっている。「仏法においては、明日ということがあってはならない。仏法のことは、急げ急げ」と。


令和2年
5月の法話
4月の法話
3月の法話
2月の法話
1月の法話

平成31年・令和元年 今月の法話
平成30年 今月の法話

戻る

powered by HAIK 7.3.7
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional