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3月の法話(平成29年)

3月の法話(平成29年)

善人なをもって往生をとぐ、いはんや悪人をや (歎異抄第3条)

現代語訳:善人ですら往生をとげるのです。まして悪人がとげられないことがありましょうか

この言葉は「歎異鈔」と云われる親鸞聖人の弟子が直接聞いた事を書き留められ、また、当時において教えがどんどんと異なっていくことを嘆き書かれたものです。
原文をみてみますと「善人なほもって往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」・・・皆様もこの言葉は耳にされたことはないでしょうか。善いことをすればよい処に、なおさら悪人はよい処に、世間の人たちはまったくその反対と思えるでしょう。
「善いことをしようと思えばすぐ出来る。悪いことをやめようと思えばすぐやめられる。これを思いあがりという」という言葉があります。善いことをしようと思っても、悪いことをやめようと思ってもなかなか出来るものではありません。

 私たちは人にやさしくしよう、善いことをしてあげようと思っていても、相手の出方次第ですぐにその気持ちがくずれていきます。もっとやさしく言えばいいのにとか、そこまで言わなくてもいいのにとか、折角やさしくしようと思っていたのにあんな態度はないよと、相手を責め裁いています。愚痴がでてきます。

私たちは腹をたてまいと思ってもいても、腹をたてる縁がくればいつの間にか腹をたてています。逆に腹をたてようと思っていても、縁がなければ腹がたつものではありません。すべては縁次第です。

これは教養があるとか、学問をつんでいるとか、よく修行をしているからとかは無関係です。煩悩とはそういうものを超えておこるものなのです。

親鸞聖人の『一念多念証文』に
{「凡夫」というは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでどどまらず、きえず、たえずと}・・
現代語訳…「凡夫」というのは、わたしどもの身にはあるがままのありようを理解できないという、最も根本的な煩悩、迷いの根源が満ちみちており、欲望も多く、怒りや腹立ちやそねみやねたみの心ばかりが絶え間なく起り、まさに命が終ろうとするそのときまで、止まることもなく、消えることもなく、…

あなたは、善人、それとも悪人、さぁどっち?・・・・・・・・・


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