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3月の法話(令和3年)

3月の法話(令和3年)

慈しみの心が届かないところはありません

「正覚の大音 響き十方に流る (正覚大音 響流十方)」(仏説無量寿経)

今月の法語は、「仏説(ぶっせつ)無量寿経(むりょうじゅきょう)」というお経の中にある、「讃仏偈(さんぶつげ)」という偈(うた)の一節です。「正覚(しょうがく)」というのは、仏のさとりということです。仏がさとりを開かれて、私たちに教えを説かれるその声は大きく響(ひび)き流れ、どこにいる人にも届きますという意味です。ですから、私たちが耳をすませば、必ず仏の教えを説かれる声が聞こえてくるということでしょう。

ある時、富山(とやま)県のお寺に嫁(とつ)いだ若いお嫁(よめ)さん(坊(ぼう)守(もり))のお話を、聞かせていただく機会(きかい)がありました。もともと広島県にあるお寺の娘さんだったのですが、京都の大学でご主人になる方と出会い、結ばれたということです。嫁ぐ日を前に、父親である住職がこういう話をしてくれたそうです。「一人娘のおまえが遠くに行ってしまうと思うと、さびしい思いもするが、あなたの幸せを願い続けているよ。お父さんは、これからも今までと同じように、毎日夕方お寺の鐘(かね)を衝(つ)き続けるだろう。もちろんその音は富山に届くべくもないが、耳に残るこの鐘(かね)の響きを思い出してくれよ」と。

仏教経典の頭には「仏説(ぶっせつ)」ということばが冠(かん)せられますが、「お釈迦(しゃか)さま(釈尊(しゃくそん))が説かれた」ということです。「仏説(ぶっせつ)無量寿経(むりょうじゅきょう)」という浄土真宗の根本聖典も、釈尊が説かれたということですが、実はこのお経が編纂(へんさん)されたのは、釈尊が亡くなってから5百年も経ってからだと言われています。私たちが生きている現代で考えてみますと、今から5百年前といいますと、日本に鉄砲やキリスト教が伝来した時代になります。この感覚でとらえると、遠い昔に生きておられたお釈迦さまの言葉をお経にまとめたものであり、厳密には釈尊直接の説法とは言えないでしょう。

それでも、経典の頭に「仏説」ということばが使われているということは、お経に釈尊の「さとり」が説かれているという強い自信の現れなのです。「さとり」の内容とは、釈尊自らが仏となるための「智(ち)慧(え)」と、私たち衆生(しゅじょう)にその智慧(ちえ)をあたえて涅槃(ねはん)を得させようとされる「慈悲(じひ)」より他にありません。すなわち「仏説」とは、そこに衆生がさとりへ向かう道が示されているということであり、私たち自身が歩む仏道が示されていということです。

「仏説(ぶっせつ)無量寿経(むりょうじゅきょう)」に仏説の語が冠せられているというのも、阿弥陀の本願「必ず救うぞまかせてくれよ」をたのむ一念によって、さとりへ向かうという教え、すなわちすべてのものが救われていく道を示されているからであり、その本願が自分に向けられていることを忘れてはなりません。この願いは「南無阿弥陀仏」の名号となって私たちの出す声であると同時に、阿弥陀如来の呼び声であると、ご開山聖人はお示し下さっております。両手を合わせ「なむあみだぶつなむあみだぶつ」と称える私の声は、同時に、私を救うという阿弥陀さまのお声であったと気づかせて頂きたいものです。


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