12月の法話(令和2年)
12月の法話(令和2年)
煩悩具足の衆生はもとより真実の心なし、清浄の心なし、濁悪邪見のゆゑなり
(尊号真像銘文)
人の優しさは長続きしない。でも・・
人は「優しい」生き物です。
困っている人(家族、友人、職場の仲間、地域の方等々)を見ると助けたくなるのが私たちです。実際に助けている時には、見返りを求めているわけでなく、その人を助けようとします。これは、私たちが「ほっておくことができない優しさ」を持っているからです。
最近は、台風や地震、大雨など日本各地で毎年のように自然災害が起こっています。 多くの方が被災され、ご苦労をされている姿がテレビ等で放映されると心が痛みます。そして自分にも何かできることはないかと考えます。
ある人は、せめてという思いから「義援金・支援金」の協力をするでしょう。また、別の人は支援物資を集めたり、現地に届けたりするでしょう。また可能な人は実際に現地に赴いてボランティア活動を行うでしょう。たとえこれらのことができなくても、被災地の人のことを思って心を痛めている人もいるでしょう。
このすべてが「人が人と一緒に生きている姿」だと思います。自分だけよければいい、とか、人のことはどうでもいいと思っているならば他の人がどんな状況になろうとも、心を向けることはありません。
出来る形は違っても、私たちは自分以外の人の苦しみに寄り添おうとします。
でも、たまにこんな報道も見聞きしませんか。「現地の人々の生活はまだ復興にはほど遠いのに、人々の関心が低くなった」と。私たちは「ほっておくことができない優しさ」を持っていますが、こんな欠点も持っているようです・・「長続きしない」「状況が変われば心変わりする」
時間の経過とともに、少しずつ関心が薄れて自分のことで精一杯になるのが私たちかもしれません。それもある意味仕方がないのですが、仏様の目から見たら、この姿は残念ながら「煩悩具足の凡夫」だそうです。
ほんとうの優しさとは「どんなに時間がたっても変わらないこと」「相手の状況がどんなに変化しても思う気持ちが変わらないこと」だそうです。変わらない優しさをもちたらいいのですが(-_-;)
時間が経つと忘れがちになったり、感謝をいわれなければ心変わりしてしまうかもしれない私たちですが、「自分自身の在り方としては、欲を少なくして足ることを知る「少欲知足」であり、他者に対しては、穏やかな顔と優しい言葉で接する「和顔愛語」という生き方です。
たとえ、それらが仏さまの真似事と言われようとも、ありのままの真実に教え導かれて、そのように志して生きる人間に育てられるのです。」(専如門主『念仏者の生き方』)と示されている通り、凡夫である私たちですが、仏さまの真似事であったとしても、相手を思いやる心で生きていきたいですね。
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