3月の法話(令和6年)|お知らせ

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2024.03.01

法話

3月の法話(令和6年)

「なかまはずれ」なんて絶対にないのが仏さまの世界


【今月の法語】
如来無蓋の大悲をもって三界を矜哀したまふ(仏説無量寿経)


【語句説明・豆知識】

◎矜哀(こうあい)深く憐れむこと、矜も哀もともにあわれむの意味で、如来が生きとし生けるものを慈しむ慈悲のこと
◎三界(さんがい)仏教における三界とは欲界・色界・無色界の三つの世界のこと。生きとし生けるものが輪廻する世界を三つに分けたもの。欲界よりも色界の方が、色界よりも無色界のほうが優れた存在の仕方とされる。
①欲界とは欲望にとらわれた世界 ②色界とは欲望は超越したが、物質的条件にとらわれたものが住む世界 ③物質的なものから完全に離れたものが住む世界


「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」という言葉をお聞きになったことがある方も多いと思います。この言葉は、お釈迦さまが誕生された時の「説話」の中で語られる言葉です。ただし、今日では特に「唯我独尊」という部分だけがクローズアップされ、本来の意味とは違う意味で理解されているようです。「唯我独尊」ですがら、「自分が一番」「自分だけが偉い」というような意味で、独善的な人や身勝手な人を批判するときに「唯我独尊な奴だ」といわれたりします。もちろんお釈迦さまが「自分だけが偉い、自分だけが一番」と他の人を軽んじるようなことをおっしゃるわけがありません。実は、「天上天下唯我独尊」だけがクローズアップされていますが、この言葉はまだ続きがあります。「三界皆苦我当安之(さんがいかいくがとうあんし:三界(命あるものの世界)は苦悩に満ちている、私は真実の教えを説いてこの苦悩を超える道を明らかにします)と続くのです。ここまで読むと前半の意味が解ってきますね。ひとつには「私は本当に人々が救われる眞實の教えを説きます」という宣言であり、もうひとつはその教えによって「命はどれもがたった一つしかない尊い存在なのです」ということの宣言です。


もう少し、お釈迦様のお誕生の説話を紹介しましょう。お釈迦さまはお生まれになられるとすぐに東西南北に七歩歩まれて、右手で天を、左手で大地を指さして「天上天下唯我独尊 三界皆苦我当安之」とおっしゃられたのです。生まれたばかりの子どもが歩んだりしゃべったりすることは現実的ではありませんから、このことは「お釈迦様のお誕生に仏さまの教えの誕生」を重ねて語っているものだと思います。東西南北に七歩歩まれたということは、6より多い、6を超えたということに意味があります。命あるものは「六道」という苦悩に満ちた迷いの世界で生死を繰り返している(輪廻)と教えています。この六道を超えたところに七歩目の世界(仏さまの世界)があり、私たちは迷いをこえて仏になる教えに出会い、命の尊さに気づきながら歩んでいく人生が開かれると教えているのです。


六道とは、①地獄界(怒りに身も心も支配された苦しみの世界)②餓鬼界(貪りの心に支配された満たされることのない苦しみの世界)③畜生界(常に不安におびえ、何かに隷属し自分を生きることができない苦しみの世界)④修羅会(争いが絶えず心安らぐことができない苦しみの世界)⑤人間界(楽しみもありが続くことはなく、常に不安を抱えている世界)⑥天上界(楽しみに満ち溢れた世界ではあるが、それを必ず失う大きな苦悩を背負った世界)です。私たちは常にこの六道の中にしかいませんから、私たちはそれが迷いの世界であることを知りません。ところが七歩目つまり仏さまの世界があきらかにされることによって、私たち自身が迷いの中にあって、大切なことを見失いながら生きていることに気づかされます。「天上天下唯我独尊 三界皆苦我当安之」は、私たち一人ひとりに命の尊さに目覚めて人生を歩んでいくことを呼びかける言葉でもあるのです。

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