思いが及ばないほどの「恩」をもらっている|お知らせ

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お知らせ

2026.08.01

法話

8月の法話

わかるはずもないほどの恩


わかるのはそれだけ



今月はお盆ですね。きっと大切な方や先祖の方々に思いを馳せる、大事な時間をお過ごしになられることでしょう。今月の法語は、私自身が聞法(もんぽう=教えを聞くこと)をしてきた中でよく耳にしてきたお言葉です。


 私は学生時代ソフトテニスをしており、朝練や夜練、県外遠征などテニス三昧の日々を送っておりました。今では「よくやっていたなぁ」と思います。しかし同時に思うのは、仕事の合間や休みの日を返上して送迎等をしてくれた両親の苦労です。当時も「ありがとう」と言っていたものの、自分自身が仕事をするようになってその大変さをより思うようになりました。きっと、思いが及ばないほどたくさんの恩をもらってきたのだと思います。


 恩というと「してもらってありがたかったこと」というイメージがあります。しかし、お釈迦さまの時代のインド語で恩は「クリタ」といい、「(他から)為されたこと」という意味なのだそうです。この意味から私は、「ありがたかった」と受け取ったこと以外にもたくさんの「恩」があるのだと教えられているように感じています。


 安田理深師は「自分が自分になった背景を知る それが恩を知るということである」と教えてくださいました。私が「私のいのち」と思っているその背景には、ご先祖や家族などたくさんのつながりがあり、私が「生まれたい」と思うのに先立っていただいたということがあります。これは「ありがたいと思うべき」ということではなく、事実そのものなのです。もっといえば、日々食べるご飯は他のいのちからのいただきものですし、私をここまで成長させてきた嬉しいこと・悲しいことは、ひとりでに経験してきたものではありません。つまり私たちは、思いが及ばないほど「(他から)為されたこと」ばかりで生きている存在なのです。そのことに気づいたとき、身の回りにあり「あたりまえ」への見方や関わり方が少し変わってくるのではないでしょうか。


 


 私たちの迷いの根本原因を「無明(むみょう)」といいます。「明るく無い」と書くように、きっと私が今ここにあるその背景を忘れ、大事なことを見失っているのでしょう。そんな私たちをいつでもどこでも照らしてくださる仏さまからの「よびごえ」、南無阿弥陀仏のお念仏を日暮しの中で大切にしていきたいものです。