生きる道 死ぬる道 二つにして 一つなり
人は生れて(①生)、年をとって(②老)、病気をして(③病)、そして必ず死んでゆきます(④死)。加えて愛しい人ともいつかは別れねばなりません(⑤愛別離苦)し、欲しいものが全部手に入ることはありません(⑥求不得苦)。会いたくないと思っている人とも会わなくてはなりません(⑦怨憎会苦)し、この肉体をもって生きていると、ままならないことの繰り返し(⑧五蘊盛苦)です。この①から⑧までが所謂「四苦八苦」で、その一つ一つを説明したものです。
「四苦八苦」は、仏教をひらかれたお釈迦さまが「人生の実相」を示されたものですが、実際に私たちはこの言葉を普段から「物事が思い通りにならず、苦労することやその状態を指す言葉」として使っています。「四苦八苦」なんで言葉は聞いてこともない、という方はいらっしゃらないのではないでしょうか。それほどこの言葉は私たちの中に浸透している言葉であり、普段よく口にするということは、私たちの人生が「物事が思い通りにならず、苦労することやその状態」であるということをあらわしており、「四苦八苦」とは実は「私たちの人生そのものの姿」なのです。
「四門出遊」ということをお聞きになったことはあるでしょうか。これはお釈迦様が王子という恵まれた地位を捨てて出家をされるきっかけになったエピソードのことです。詳細にはご説明できませんが、「王子であったお釈迦様は城の中で何不自由なく暮らしていましたが、東門から出た時に「老人」に会い、南門を出た時に「病人」に会います。そして西門から出た時に「死者(葬列)に」会います。この出来事を通して、人間は避けることのできない「苦(思い通りにならない)」を抱えた存在であることを深く自覚し、北門から出た時に会った「出家者」の穏やかな姿に心惹かれて自らも「出家」して真実を求める決意をされたのです。 このお釈迦様のエピソードは、仏教とはまさに避けようのない「苦」から始まり、この「苦」を超えていく道を私たちに開いてくださるものだということを語ってくれています。その道を歩むことを「修行」といいますが、この「修行」が簡単なものではありません。日々の暮らしに精いっぱいな私たちは、この「修行」とは縁遠く、自分の力ではどうしても「苦」を超えていくこはできません。けれども、そんな私たちを必ず救うための願いが、私たちがいただいている「阿弥陀様の願い」であります。私をどんなことがあっても必ず救う(苦を超えさとりに至る)という願いにつつまれて、必ず仏さまとして生まれて行く浄土に往生してゆく世界あるということは心強い事です。
