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9月の法話(平成30年)

9月の法話(平成30年)

いつでも、待っていてくださる方がいるって安心ですね

原文…『迎』はむかふるといふ、まつといふ、他力をあらはすこころなり(唯信鈔文意)
現代語訳:「迎」 は 「むかえる」 ということであり, 待つということであって,それは他力の救いを意味しているのである

介護制度の改革の中で、これまで日本では公的に使われることのなかった「ターミナルケア」という言葉が使用されるようになりました。ターミナルケアの定義や、このことが用いられるようになった法律上の問題などの難しい側面については、素人である私はとても詳しく説明することなどできませんが、一つだけ確かに言えることは、「死んだら終わり」という価値観では、いのちに向き合うことはできないという現場の苦悩が反映されたものであることです。「生きているときだけ」という死生観では、人間の苦悩に太刀打ちできないということです。

実はターミナルケアという言葉自体が宗教的価値観を見持った言葉で、決して死んだら終わるのではないという死生観、とくに宗教的死生観を背景にしたものです。ターミナルケアは日本では「終末期医療」と訳されます。終末期のケアということですから、もちろん人生の終わりということを意味するのですが、単にそのことだけに限定されるのではなく、新たな始まりへのお手伝いをも意味する言葉でもあるのです。実際にターミナルには終末・終着(駅)という意味があります。例えば鹿児島中央駅は新幹線の終着駅ですが、終着駅は同時に始発駅でもあります。終着駅は終着というだけでなく始発というもう一つの側面を持っているのです。

申すまでもなく、ターミナルケアという考えの背景にはキリスト教があり、この世のいのちが終わると神様のもとへ生まれるという「いのち」が始まるということなのです。残された方々にとっても、死んだら終わりでなく、再び出会える世界があることが支えにもなりますし、また別れて初めて出会いの深さを味わうこともあるでしょう。

私たち日本人も、決して死んだら終わりという死生観を持っているわけではありません。日本にも仏教や神道など長い間人々の生活の中に根づいた教えがあり、それぞれがしっかりと死生観があるのです。浄土真宗に関していえば、真宗禁制が長く続いた鹿児島ではあまり見かけませんが、昔から信者さんが多いと言われる地域では、お墓の正面に「倶会一処(くえいっしょ)」と彫られているものをよく見かけます。これは私たちにとって馴染みの深い大切なお経である「仏説阿弥陀経」の中にあるお言葉です。私たちはこの世のいのちが終わると、阿弥陀如来の本願力(他力)によってすぐさま浄土に生まれて仏さまとならせていただき、先立っていかれた方々とも仏様となって再び出会える受け止めてこられました。「必ず待っていてくださる世界がある」と頂いてこられた伝統があります。

死んだら全てが終わるのではないという死生観が、今再び脚光を浴びつつあるのです。


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