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9月の法話(令和3年)

9月の法話(令和3年)

今月の法語

よしあしの文字をもしらぬひとはみな まことのこころなりけるを
善悪の字しりがほは おほそらごとのかたちなり  (正像末和讃)

法   話

浄土真宗の御開山親鸞聖人は、平安時代末から鎌倉時代に生存されましたが、その当時の識字率(文字の読み書きができる人の割合)は、相当に低かったと思われます。現在の日本の識字率はほぼ100%であり、世界でも最高レベルに言われており、すばらしいことだと思います。しかし聖人のこの和讃は、「善悪の字しりがほ」になってはならない、思い上がってはならないと、強く警告されておられます。

ある男性と雑談をしていますと、こんな話しをしてくださいました。「私は宗教はどんな宗教でも同じだと思っています。高い山の頂に到達するのに色々なルートがあるように、宗派が違って修行の方法は違っても自分の心を磨いて向上させて、理想的な人格に育てていくという点は同じだと思うんです」と。仏教では、私たちの心身を煩わせ悩ませるこころのはたらきを煩悩と言います。「仏教」と聞くとまず思い浮かべるのは、厳しい修行でしょう。厳しい修行によって、煩悩を断ち切り悟りを開く道であると。人間はだれでもこの道を通ると、親鸞聖人は言われましたが、同時にこの道は実現し難く「おほそらごとのかたち」とも言われています。

浄土真宗の救いは「摂取不捨の利益」と言われています。それは苦悩の衆生を必ず、おさめ・まもり・すくうという阿弥陀さまの大慈大悲のみ心のことです。「慈」とは、最高の友愛の情をもって、惜しみなく楽を与えようとする心であり、「悲」とは苦しみや悲しみに同感して、苦を取り除こうとする心です。その心は、一切のとらわれを離れた絶対平等の心を意味します。阿弥陀さまの心を信じ念仏を称える人は、信じたその時に必ず救われる位に定まると言われます。人生を山登りに例えるならば、信じたその瞬間に頂上に着けると保証され、口に感謝のお念仏を称えながら、安心し感謝の心で登山する(人生を送る)姿になるのでしょう。

老いの時も若き時も、善人の時も悪人の時も、この身このままで救われていくという御利益が念仏の行者には備わっています。ですからいつどのような死の迎え方をしても、何ら往生(救い)のさわりとはなりません。私たちはただ「まかせよ、必ずすくう」とよんでくださる、阿弥陀如来の仰せにすべてをゆだね、大慈大悲をもってもろびとを利益する安楽浄土をめざすのです。


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