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8月の法話(平成29年)

8月の法話(平成29年)

ありがとうに これでいいはありません

「恩」ということを少し、味わってみましょう。

「恩」ということは生活感覚としてわかりにくくなっているといわれます。私たちは便利になることによって、「恵まれている。助けられている」ということを感じることができにくくなってきているようです。

たとえば、昔の人は「仏様」や「ご先祖さん」をとしても大切にしてきました。

ご先祖さんとは、狭い意味での「○○家の先祖」というだけでなく、私に連なるあらゆるいのち(これを祖先と言います。先祖と祖先・・字をひっくり返しただけですがその意味は、本来は違います。ただし現在では同意味でつかわれることが多いです)に対して、敬虔な思いを持っていたということです。

今日ご先祖というと、ややもすると「何かお願いして助けてもらい相手」であったり、ひどい場合には「祟ったりして困らせている存在」であったりします。でも昔の人たちは、一日の生活中で何度となく仏様・ご先祖さんに感謝していました。

これはどんなことも当たり前ではない、すべてのものが恵まれたものだという思いがあったからです。

金子みすゞさんの「お仏壇」という詩を味わってみてください。

「お仏壇」     金子 みすゞ

お背戸(せど)でもいだ橙(だいだい)も   町のみやげの花菓子も
仏さまのをあげなけりゃ   私たちにはとれないの

だけど やさしい仏さま   じきにみんなに下さるの
だから私はていねいに   両手をかさねていただくの

家(うち)にゃお庭はないけれど   お仏壇にはいつだって
きれいな花が咲いてるの   それでうち中あかるいの

そしてやさしい仏様   それも私にくださるの
だけどこぼれた花びらを   踏んだりしてはいけないの

朝と晩とにおばあさま   いつもお燈明あげるのよ
なかはすっかり黄金だから   御殿のやうに かがやくの

朝と晩とに忘れずに   私もお礼をあげるのよ
そしてそのとき思うのよ   いちんち忘れていたことを

忘れていても 仏さま   いつもみていてくださるの
だから 私はそういうの   「ありがと ありがと 仏さま」

黄金の御殿のやうだけど   これは ちいさな御門なの
いつも私がいい子なら   いつか通ってゆけるのよ

生活の場の場面場面に仏様への感謝があり、いろんなものを頂き物(おさがり)として頂戴していたのですね。お仏壇を中心とした生活は、いつもいつも「ありがとうございます」とお礼を言う生活だったのです。
そして、ありがとうはどれだけ言っても、もうこれでいいということはなく、ありがとうと感謝する中にこそ、人としての生活があったのだと味わうことができます。これを報恩感謝の生活と言います。

報恩とは、恩に感謝するということですが、恩ということがわからなかったり感じられなくなったりすると、報ずる(感謝する)ということも存在しません。私たちは、今私が日々恵まれたものの中に生きていることを改めて思い、また私のいのちそのものも、多くのいのちに生かされ、多くのいのちが受け継いでくれたいのちであったことを思いたいたいものです。


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