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7月の法話(令和3年)

7月の法話(令和3年)

「娑婆世界に居たるほど 護念すとはもうすことなり」 【親鸞聖人御消息】

【法   話】
私たちは人として生まれて、この人生を終わる時まで、三毒の煩悩という厄介なものを抱えて生きていかなければならない存在だと仏教は教えています。

三毒の煩悩とは、①貪欲(貪る)②瞋恚(怒り)③愚痴(道理にくらい)で、毒の煩悩ですから、自分自身を苦しめ、人を傷つけていく代表的なものです。誰にとっても人生はたった一度きりですから、できるならば幸せになりたいと思って生きていますし、争ったり傷ついたりして生きていきたいとは思っていないはずです。でも、実際は思い通りにいくどころか、何でこうなるのかなあと愚痴が募る日々ではないでしょうか。

お釈迦様は「人生は苦である」と教えているのですが、苦とは思い通りにならないことで、まさに私たちの人生とは通りにならないものを思い通りにしたいとあくせく頑張っているということなのでしょう。「凡夫は幸せを求めて地獄をつくり、仏は地獄を見せて浄土にみちびく」とありますとおりです。

仏教では私たちの住むところを「娑婆」と云いますが、語源はインドのサーハからきています。仏教がインドから中国に伝わるときに、中国の僧侶の方々が音を漢字にあてて「娑婆」としました。以前はよくドラマや映画などで「娑婆の空気は美味しい」というセリフがきかれたものです。

この娑婆を別の表現で「堪忍土」とも言います。いろんな過酷な状況の中を堪え忍んで行かなければならないという事です。私の思いに反して、風が吹く時は風が吹く、雨が降るときには雨が降るのです。如何ともし難い状況の中を堪えていかなければならないのが私たちの人生です。

この厳しい今を生きている私たちを支えてくださっているのが、阿弥陀如来であり、先に阿弥陀如来のお浄土に往生なされた懐かしい方々です。お別れした方々はみな、三毒の煩悩を離れ仏として時間と空間を超えて私を支えて下さっています。私たちはこの方々を常に讃える存在として捉えなければなりません。
この身あるがゆえに煩い悩みを抱えた私の為に、大いなる誓いと願いとして南無阿弥陀仏となって、何時でも何処でも私と共にいらっしゃる仏様、私の声となって出てくださる念仏、かならず仏としてうまれしめられるという願いをそのまま受け止めていくところに不安を超える力がそなわるのではないでしょか。



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