6月の法話(平成29年)
6月の法話(平成29年)
御膳まゐり候ふときには、御合掌ありて、如来・聖人(親鸞)の御用にて衣食ふよと仰せられ候ふ(蓮如上人御一代記聞書)
現代語訳:蓮如上人は、お食事を召し上がるときには、まず合掌されて、「阿弥陀如来と親鸞聖人のおはたらきにより、着物を着させていただき、食事をさせていただきます」と仰せになりました。
私たちの浄土真宗本願寺派(西本願寺)には「食事の言葉」があります。
食前の言葉:(合掌して申し上げます)多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。
【食前のことば解説】わたしたちは、食べ物をいただくことで、毎日を過ごしています。この食事には多くのいのちをいただいています。またこの食事がわたしの口に届くまでには、多くの方のご苦労もありました。阿弥陀さまは、わたしたちが、多くのいのちと、みなさまのおかげによって、初めて生きることができているのだと、明らかにしてくださいました。このご恩を思い、お食事を大切にいただきましょう。
食後の言葉:(合掌して申し上げます)尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます。おかげで、ごちそうさまでした。
【食後のことば解説】お食事をいただいたわたしたちは、尊いおめぐみをいただきました。多くのいのちと食事を用意してくださった方々のご苦労を思い、そのおかげでいのちをいただいています。
いまここにいのちあるわたしを、必ず救うと願い、支えてくださっているのが阿弥陀さまです。このご恩を思い、阿弥陀さまの願いに応えようと、精一杯に生きていきましょう。解説は龍谷総合学園HPより
私たちが生きていくことは“キレイゴト”ばかりではありません。例えば食事のときに、肉や魚が美味いの不味いのといいますが、その目の前には肉や魚のいのちの姿があります。「お金を払っているから文句を言われる筋合いではない!」と言われる方がありますが、目の前の肉や魚がお金をもらっているわけではありません。肉や魚を提供する方々にお金を払っているのです。
原文にありますように、蓮如上人が食事の言葉を言われたのは、尊いいのちの有様や恵みに対し感謝せずにはおられないという慚愧のあらわれではないでしょうか。
目の前のいのちに感謝せずにはおられないその思いをもってするのが食事であり、その思いの抜けた、ただ“ものを食う行為”は食事ではなく単なるエサに過ぎないのではないのでしょうか? ぜひご家庭でも合掌して「いただきます」・「ごちそうさま」の感謝の食事と参りたいものです。