~つながる・集う・育つ~ 妙行寺ホームページへようこそ

4月の法話(平成30年)

4月の法話(平成30年)

おしつけちゃだめだよ

原文…念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、 面々の御はからひなりと(歎異抄)
現代語訳:念仏して往生させていただくと信じようとも、念仏を捨てようとも、それぞれのお考えしだいです。

寒い冬から春へと季節も進みました。
昔から、暑さ寒さも彼岸までと言われますが、今年は例年になく早く桜前線も北上しています。至る所で色々な花がそれぞれに美しい花を、まるで自らの存在を誇示しているかのように咲かせながらも、全体のバランスは保たれて、自然そのものが移ろいで行く様で私たちを楽しませています。いのちは連綿として、未来へと繋げていくのだろうなとしみじみと味わうことです。

さて、そんな自然の中に生かされている私自身はどうでしょうか。あらためて考えてみますと、日頃の生活は、自分の欲求心を満たすところには喜びを感じ、反対のことには怒りを抱いて、年を重ねていく生活の繰り返しのように思われます。不平不満ばかりの私たちは、安心出来得る状況など一つも持ち合わせていないようにも感じます。仏教に「愛憎違順」と云う言葉があります。自分にとって都合が良ければ良い人、悪ければ憎しみを抱き、心で責めて言葉で攻撃し、身を持って害を加えてしまう・・ということですが、どうも他人ごとではないように思います。
仏教では、人と生まれることは誠にありがたいことであると言います。それは人間だけが仏教を聴き仏さまになる道を歩める存在だからですが、私の日暮らしはどうでしょうか。過去より現在に至るまで争いの繰り返しであるならば、頂いたたった一回限りのいのちを生きているのに、あまりにも勿体ないのではないでしょうか。

今回の言葉は「おしつけてはいけません」というのは、人間という生き物は、自分の意の通りになるように他に対していろんな形で圧力をかけ、媚、諂いながらまんまと欲求心を満足していくことでひと時の安らぎを、こういう形でもとめているその姿こそ、お互いを苦しめていることに気付かなければなりません。

今月の言葉は、親鸞聖人の言葉を書き留めた『歎異抄』第二条にあります。この背景には、たとえ最も近い親子であっても「愛憎違順」とは無縁でない姿があります。父親の影響力を超えることができない息子善鸞が、その父の影響力を逆手にとって、自分に注目を集めようとします。その息子に対して親鸞聖人は「法義上親子ではない」という厳しい決断をします。苦渋の決断であったことでしょう。自分が中心になりたい、自分が注目を集めたい、そういう心は親子という関係さえも崩していくようなものなのでしょう。あらためて人間の自己中心性、自分の思いを人にも押し付けていこうとする惑いの深さを思わずにはおれませんが、そのような私達であればこそ、必ず救うと誓われた阿弥陀如来のご本願を有難くいただくことです。 


3月の法話
2月の法話
1月の法話

平成29年 今月の法話
平成28年 今月の法話

powered by HAIK 7.2.6
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional