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3月の法話(平成31年)

今月の法話(平成31年)

見えないけれどもあるんだよ

原文: 煩悩にまなこさへられて  摂取の光明みざれども
     大悲ものうきことなくて  つねにわが身をてらすなり         (高僧和讃)

3月に入るとめっきり春らしくなります。桜をはじめたくさんの花々が、一斉にその美しい姿を見せてくれます。厳しい冬を乗り越えた喜びを体全体で表しているようです。「諸行無常」は、すべてが移り変わって変わらないものはないという世の中の真実を表すことばですが、どうしても枯れていく、死んでいくなど寂しい印象があります。でも「せごどん」が詩の中で、「雪に耐えて梅花麗しく 霜を経て楓葉丹し」と言われるような明るい現象も「諸行無常」ですね。

季節の変わり目は目に見える現象であり、春の訪れは疑いのないものと信じることができます。しかし、私たちは、目に見え体で感じられるものは信じることができますが、目に見えないもの科学的に証明できないものを、信じることは難しいものです。 親鸞聖人は、「弥陀の本願信ずべし 本願信ずるものはみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をば覚るなり」と、阿弥陀如来の本願を信じましょうと呼び掛けておられます。

阿弥陀さまは、私たちを救いたいという大悲心から、五劫という想像もつかない時間をかけて、四十八願を建てられお浄土という世界を造られました。私たちは「信じてお念仏を申すだけで必ず救われる」と、「仏説無量寿経」には書かれております。でも残念ながらこの願いは、「煩悩にまなこさへられて」 「摂取の光明みざれども」とありますように、煩悩に覆われた私たちの目には、見ることができません。

私たちが人生の支えとして信じ求めているものは、だいたい「自分や家族の命」・お金・財産・健康・地位・名誉などの眼に見えるものでしょう。しかし「諸行無常」という真実からよく考えて見ますと、これらはすべて消えていくものあてにならないものと言え、最終的な頼りにできないものです。あてにならないものをあてにして追い求め、苦しみ・悩み・喜び・迷うそれが煩悩と言われるものでしょう。

昼間の星は見えません。しかし、昼間にも星は確かにあるのです。それと同じように私たちの眼には阿弥陀如来は見えません。しかし、「大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり」。いつもあきることなく、あきらめられることなく、南無阿弥陀仏とはたらいておられるのです。目に見えずとも如来さまは確かにはたらかれているのです。眼には見えない阿弥陀さまの光に気付いた時私たちは、真実信心を得たといえるのです。お念仏を称えながら、煩悩を抱えたままで安心して、この世を生き死んでいける人生を送りたいものです。


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