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3月の法話(平成30年)

3月の法話(平成30年)

みていてくださる わかっていくださる心に包まれ

原文…つねにてらすといふは つねにまもりたまふとなり(尊号真像銘文)
現代語訳:阿弥陀様はいつでもどんな時でも、私を見ていてくださり護っていくださいます


昔、よくお寺参りをされるおばあちゃんたちから聞いたことがあります。

「いろんなことを我慢してがんばってきたけど、どうしてもつらなく我慢できないときには、お仏壇の前で泣くもんじゃったよ」と。

その話を聞いたばかりの時は、少し不思議な思いがしたものでした。

「泣くなら、人目につかないところでかくれて泣くんじゃないんだろうか。お仏壇の前って、家の 中心だから、いつ人に見られるかわからないところなのに、なんでわざわざお仏壇の前で泣くんだろうか」と。

でも、今ならわかる気がします。おばあちゃんたちにとってのお仏壇の前って、単なる場所ではなく、いつでも見ていてくださり、わかっていてくださる阿弥陀様の前であり、先にお浄土に帰っていかれた方々の前ということなんですね。

前というよりも、その懐の中という方がいいかもしれません。阿弥陀様や懐かしい方々のおこころに抱かれて涙を流したということなんでしょうね。

子どもがずっとずっと泣くのを我慢していて、そしてお母さんとか、保育士さんとか、その子のことをよくわかってくれている人が、「つらかったね~。よく頑張ったね~。」と抱きしめてくれたら、それまで我慢していた涙が、堰を切ったようにあふれて、泣きじゃくる姿を見かけることがあります。

辛かったらその時に涙を流せばいいはずなのですが、我慢して我慢しています。

そして、本当に安心できる人に抱かれたとき、自分のことをわかってくれて、いつでも受け止めてくれる人に抱かれた時に、すべてを預けるように泣くのです。

人は、本当につらい時は一人で泣くのではなく、誰かがいてくれるからこそ泣くことができるのかもしれません。「つらかったね、きつかったね」と、寄り添ってくれる心に包まれて初めて涙を流せるのかもしれません。

阿弥陀様は、いつでもどんな時でもこの私のことをみていてくださいます。それは見張ることでははなく、どんな時でもわかっているよと私を包み込んでいてくださるということです。

そんな阿弥陀様に照らされながら、大変なことも多いこの人生を私たちは精一杯生きていくのです。


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