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2月の法話(平成31年)

2月の法話(平成31年)

何がよい日 悪い日

原文:かなしきかなや道俗の 良時・吉日えらばしめ   (愚禿悲嘆述懐讃)
現代語訳:悲しいことだ。人びとは日取りの良し悪しばかり気にして


年の暮れから行事が宗教儀礼と言うのか習慣儀礼として頻繁に行われております。12月の24・25日はクリスマス、31日は除夜の鐘(仏教)、年を越して1月1日からは初詣と、はたまた子供の合格祈願や無病息災を願いつつ神社に、2月3日は節分で神社仏閣にて(鬼は外福は内と)豆をまき、最近では恵方巻(巻きずし)をある方向を見て食べると願いが叶えられるというから驚きですね。

祝い事、悲しみ事についても日が良いとか悪いとか言いながら、「それでなんで日が良いの悪いの?」と尋ねますと、「大安だから」とか、「友引だから」とか何の答えにもなっていません。言葉を持って、良し悪しを決めているようにしか思えません。暮れの餅つきについて聞いた事があります。何で29日に餅つきはしないのですかとお尋ねしますと、二重(二十)に苦(九)がつくからしませんとの事でした。なかには昔からしているからとか、みんなしているからとかで、何もその事実について考察することすらありません。

人間の本質は、自分にとって思い通りになりますようにとの思いの中で生きております。
仏教では“思い通りにいかないことを苦”というふうに捉えております。私たちは生まれながらにして、三種の病をかかえている存在です。一つには貪欲、貪る欲で例えて言いますと、あれが欲しいとかこれが欲しいとか自分の思い通りになりますようにとの願い、足ることを知らない(小欲知足)事であり、二つには瞋恚で、思うようにいかない時などに怒りを顕わに他を攻撃し、また、他より責めて来られて(自障傷他)不安から不安に堕ちていくのであります。昔の古歌に「火の車、作る大工はなけれども、おの(自)が作りておの(自)が乗りゆく」とあります。
三つには愚痴、あの時あぁすればこうすれば良かったという後悔の思いであり、道理に暗いということであります。
日が良いとか悪いとか、天の神様、地の神様に私の願いを請求する行為など私の思うようになりたいという願望から行うのでしょう。人間の三種の病の症状を治すには、物事の道理を知らねばなりません。

蓮如上人の『白骨の御文章』に「人間の浮生なる相を (中略) …われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず(中略) …朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば(中略) …されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば…」と、ここに生きている私たち、生きているがゆえに何時でも死する私たちであります。そういう私たちに何時でも寄り添って下さる方がいらっしゃいます。浄土真宗の教章の生活の所に、阿弥陀如来のみ心を聞き、念仏を称えつつ、つねにわが身をふりかえり、慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷などにたよることなく、ご恩報謝の生活を送るとあります。実践したいものですね。


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