12月の法話(平成29年)
12月の法話(平成29年)
原文…法義も心にかけ、ちとこころえもある上のちがいが、ことのほかの違なりと、仰せられ候由に候
(蓮如上人御一代記聞書)
現代語訳:仏法に心を寄せ,多少とも心得のあるものがご法義を誤って受け取るのは,まことに大きな過ちなのであると,蓮如上人は仰せになったとのことです。
世の中にはいろいろな学問や講座などの学びがありますが,その多くのものは『○○を学ぶ』と表現されます。仏教に関しては『仏教に学ぶ』と表現いたします。西本願寺でもそれぞれのお寺で学びの機会はあります。また宗門の学院による通信教育などもあります。いろいろなところで学ぶ機会がありますが,その時に一般の学問と違うのは「仏教を学ぶわけではなく仏教に学ぶ」という点です。
さて,皆さんのお宅には仏壇がありますでしょうか?その仏壇に前でどうされていますか?一生懸命お願い事などをしてはおられないでしょうか?時々,納骨堂の中でお願い事をされている方を見かけます。「○○が△△しますように。」とか「□□を◇◇してください。」など。願って叶うのなら誰よりも私が一番に願いたものですが…。
ところでお仏壇ってどういう存在ですか?お寺にお参りされた方の中には,本堂の大きな阿弥陀様の前に座ると「とても落ち着く。」と言われます。何故でしょう?私は昔,恩師より仏壇は心の窓であり鏡であると教えていただきました。
世の中自分の想像をはるかに超えるような出来事がたくさんありますし起こります。大きな悲しみや怒りや苦しみや絶望に襲われることもありますし,また喜びや楽しみに溢れることもあります。
どのようなときも,自分では抱えきれない思いを一緒に抱えてくださるのが阿弥陀様です。仏壇の前に座り阿弥陀様の前で静かに手を合わせますと,スーッといろんな思いが変化していくように感じます。
これは阿弥陀様がいろんな思いを抱え闇の中でもがいている私の心の中に光を届けてくださり,心の中のモヤモヤした思いを入れ替えてくださる。あたかも窓があることによって光が入り,風を入れることができるようなオハタラキをして下さっているからです。
また,私の姿かたちを映す鏡は世の中にたくさんありますが,阿弥陀様は真向かいとなり私の真実の姿をうつします。普段は心と裏腹の行動を取らざるを得ないこともあり,また善い人であろうとするなど,自己の都合でコロコロ変わる私の心をそのままうつし見させて下さる,私の真実の姿をうつす鏡のような存在なのです。
宗門の学院の通信教育を受けたある60代の男性の話ですが,この方が僧侶に対し「仏教を1年間学んで,腹を立てる事がなくなりました。」と言われたそうです。そこでその僧侶がその方に「本当にそうですか?」と尋ねると,「本当です。」との返事。僧侶が「まったく腹を立てる事がありませんか?」と尋ねると「ええ、ありません。」との答えであったので,さらにもう一度「本当に?」と尋ねると「だから本当だってさっきから言っているじゃありませんか!」と,腹を立てられたとのことです。
まさに原文のように蓮如上人が嘆かれたとおりであります。この方は仏教を学んだのでしょう。『仏教に学ぶ』とは,仏様の教えに私のありようを照らし歩む道を確認することであります。仏教は生活と密着したものであり,仏様の教えを生かして生活していくものであるからこそある僧侶は,「お寺の本堂は答え合わせの場である。日々の生活の在り方の答え合わせの場である。」と言われました。なるほど。『仏教に学ぶ』生活を実践したいものです。
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