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11月の法話(平成29年)

11月の法話(平成29年)

身みづからこれを当くるに、代わるものあることなし   (仏説無量寿経)

昨年2月に,覚醒剤取締法違反(所持)の疑いで、元プロ野球選手が逮捕されました。高校時代から親交のあった桑田真澄氏は元プロ野球選手に対し『「スポーツマンである以上、暴力、ドラッグからは遠い存在でいるべき」などと「小姑のように言い続けてきた」という。

しかし逮捕の3年ほど前、「一切関わらないでくれ」と言われ、「お互い大人だし、おまえがそう言うならそうしようと」と、“決別”したという。その後も「小姑のように言い続ければよかった。」と後悔したそうです。

逮捕後に桑田真澄氏は「野球にはピンチになれば代打やリリーフはいるが、自分の人生に代打やリリーフはいない。現役時代、数々のホームランを打ってきた男。自分の人生でもきれいな放物線を描く逆転満塁ホームランを打ってもらいたい」と、元プロ野球選手に対して復活への期待を口にした。』とのことです。 

今月の言葉「私の人生です」は,『仏説無量寿経』の中にある言葉の,「独生独死独去独来(独り生まれ独り死し、独り去り独り来る)」「私たちは生まれるときも死ぬときも、ただ独りでその苦難と立ち向かわなければならない」という意味で、まさに自分の人生は、自分で歩くしかないと諭され、さらにこの一説のあとに、「身みずからこれを当くるに、代わるものあることなし」つまり、あなたの人生は、最愛の家族であろうとも代わって生きてもらうことはできないと説かれていることの味わいの言葉です。

まさに桑田真澄氏の言葉のように「自分の人生に代打やリリーフはいない。」です。逮捕された元プロ野球選手も一時は栄光を手にした人生であったと思うのですが,その光の中で孤独やプレッシャーなどいろいろな他人には言えない見せたくない闇の部分もあったのでしょう。

何もこれは彼だけに言えるものではなく,私たち自身にもあるものです。人の心の中までは誰にもわからないものです。

生まれてきたのも一人,死んでいくのも一人,どんなにつらくとも私の人生を代わってくれる人はありません。この人生を生き抜くしかないのが,お釈迦様がいわれた「身みずからこれを当くるに、代わるものあることなし」です。

自分を受け容れ、今の自分と向き合うことによってしか、過去を見直すことも、未来に生かすこともできないのです。そして誰にも代わってはもらえないいのち、また、誰にも代わってもらう必要の無いいのちをいただいていることに気づかされます。

如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情を捨てずして 回向を首としたまいて 大悲心を成就せり
と親鸞聖人は詠っておられます。そうだったのです。 阿弥陀さまの大悲心と呼ばれるお心は、「転んでは起き、起きては転ぶ」苦悩の人生を歩む私のために起こされていたのです。

「転んだ時が起きる時」…「辛いだろうね、苦しいだろうね。だからこそあなたを捨ててはおけないのですよ」と、ともにおいで下さるのが阿弥陀如来です。転んだ痛さを、「分るよ、分るよ、忘れられないよね」と、ともに泣いてくださる方が、阿弥陀如来なのです。私の人生をともに歩んでおられる阿弥陀如来。有難いですね


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