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10月の法話(平成29年)

10月の法話(平成29年)

原文…阿弥陀仏神通如意にして十方の世界において変幻自在なり
『慈しみは いつでも、どこでも、だれにでも』    (仏説観無量寿経)

今年の7月から、妙行寺の本堂の入り口に二匹の猫がいます。いますと言っても絵なんですが(笑)

一匹の猫の口は「阿」もう一匹は「吽」。二匹あわせて「阿吽」の猫さんで、作者は陶芸家の村岡良寛さんです。「阿」は口を開いて最初に出す音、「吽」は口を閉じて出す最後の音であり、そこから、それぞれ宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされ、前者を真実や求道心に、後者を智慧や涅槃にたとえる場合もあります。

この「阿」と「吽」の間には色々な想いが含まれている感じがします。怒り・悲しみ・苦しみ・楽しさ・愛などの全ての感情、そしてこの世に生きているという不思議なども。

この二匹の猫さん、いつでも私たちのことをみていてくれます。まるで浄土真宗のご本尊の阿弥陀如来さまがいつでもどこでもどんな時でも、私のことをみていてくださるように。

仏説無量寿経というお経の中に、「阿弥陀如来は思うがままになんでもできる不思議なはたらきの仏さまでありますから、私たちが知っている決まった形ばかりではなく、私たちが思いもよらない形やはたらきとなって、私たちのためにはたらいていてくださる仏さまなんです」と書かれています。

私たちは、阿弥陀如来さまというと、本堂にご安置してある仏像の姿を思いますが、あの姿だけが阿弥陀様ではありません。

あの姿は「方便法身(ほうしべんほしっしん)」といいます。専門的の話になりますが、阿弥陀如来さまの本質は「法性法身(ほっしょうほっしん)」といい、姿かたちのない真実のさとりそのものということです。

しかし法性法身は私たちを放っておくことはありません。私たちを救おうと形をとってあらわれてくださった阿弥陀如来さまを「方便法身」といいます。法性法身が私たちのためにはたらく姿が方便法身なのです。

法性法身という言葉も超えた悟りの境地には接点をもちえない私がいるからこそ、方便法身の阿弥陀如来さまがあらわれてくださったのです。

ですから、阿弥陀如来さまは、あの私たちが知っている姿だけではなく、私たちが思いもよらない姿やはたらきで、私を見ていてくださるのです。冗談っぽく聞こえるかもしれませんが、この二匹の猫さんも阿弥陀様のおはたらきかもしれませんよ(^O^)

物事がうまくいかないときとか、きつい時とか、私たちは「誰もわかってくれない」と思いがちですが、決してそんなことはありません。必ずみていてくださる人がいますし、何よりも阿弥陀様がみていてわかっていてくださいます。本堂に入られたら阿弥陀様をご覧になって、いつでも一緒という心をいただき、帰りには猫さんを見ながら、見てみてくださる方がいるよという安心をもっておかえりいただきたいと思っています。

本堂は阿弥陀様のおこころを形に表して私たちが五感で感じられるように作られているものですが、阿弥陀様が私たちをみていてくださるのは本堂だけの話ではありません。私たちはいつでもどこでもどんな時も見守られているのです。


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