~つながる・集う・育つ~ 妙行寺ホームページへようこそ

1月の法話(平成29年)

1月の法話(平成29年)

だいぶ前の話ですが、本堂でコンサートを開催した時のことです。

 演者のお一人が、内陣(仏様をご安置してあるところ)と外陣(参拝者が座るところ)の間にある巻障子(扉のようなもの)を閉めていただけませんかと言われたのです。
その方は「仏様に背を向けては申し訳がありません。それと自分は決して上品な演奏をするわけではないので、せめて扉を閉めて仏様には見えないようにしていただいた方がよいのではと思いますので」とおっしゃるのです。

仏様に失礼があってはいけないという、その方の思いは尊重しながらも、「大丈夫ですよ、決して失礼になることはありませんから、開けたままでやりましょうか」とお伝えしたところ、「いえいえ、私の闇の部分は仏様には隠しておきたいと思いまして」と再度遠慮されました。あまり強く強要してもいけないので、その際にはその方の意向を汲んで、巻障子を閉めて演奏をしていただきました。

 その後の懇親会(ノン方)のとき、多少お酒も入ったところで、その方といろんな話をする中で、扉の話もしてみました。そして、「どんなに頑丈な扉を閉めても、仏さまには全部お見通しなんですよ。」というお話もしました。

「扉を閉めて仏様には見えないようにと言われましたけれども、扉を閉めても隠せるものではないのですよ。扉を閉めたり隠したりしてしまえば見えない、わからないのは私たち人間同士のことです。ですから、騙すとか騙されたとかいうことも起こるわけです。でも、仏様には騙すとか、騙されたということはありません。なぜならば、私のすべてを知っていてくださるからです。私がどんなに隠しても、仏さまは全部わかっておられるのですよ。」という私の話に、その方は「全部わかってくださっているということは、虚勢を張らなくていいと安心できるようにも思いますが、私はちょっと怖いなとも思います。人は隠したい部分もあるじゃないですか、全部知っているということは弱みを握られているような感じもして」と言われました。

確かにあなたのすべてを知っていますよと言われると、そのように感じるかもしれませんね。隠しておきたいこともあるのが私たちの人同士の関係かもしれません。お互いを評価したり、時には処罰したりするという関係の中では、知られているということは「怖さ」を感じもするでしょう。けれども、そんな心配もいらないのが仏様なんです。仏様がすべてを知っていますというのは、私を評価するためでも罰するためでもなく、愚かしさも醜さも汚さも抱え込んだこの私を、それを最初からわかっていて、そのうえで、それだからこそどんな時でも一緒にいて、あなたを支えますよというお心なのです。


平成28年 今月の法話
平成27年 今月の法話
平成26年 今月の法話

戻る

powered by HAIK 7.3.7
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional