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今月の法話(平成30年)

今月の法話(平成30年)

安心ですね

原文…「今日ともしらず、明日ともしらず」(御文章)

「今日ともしらず、明日ともしらず」は、御文章に書かれています。「御文章」は別名「お文(ふみ)」とも呼ばれるように、本願寺第八代の門主の蓮如上人が折にふれて門信徒に与えたお手紙です。

 蓮如上人のお手紙のうちで後世に伝わったものは、二百五十余通とも五百余通ともいわれています。その中から、上人の孫にあたる円如(えんにょ)上人が八十通を選んで、五冊に編集されたものを「五帖(ごじょう)の御文章」と呼びます。

 もともと、蓮如上人が、浄土真宗の正しい教えが広く伝わり、誤った解釈を正すようにと願われ、真宗の教えの肝要を簡潔・平易な言葉で綴り、これを手紙のかたちで門信徒に示されたものです。

 のちに、蓮如上人ご自身の発案で、門信徒の集会の場で朗読するようにと決められました。これが今日の「御文章拝読」の作法の初まりです。

 「今日ともしらず、明日ともしらず」は、白骨の章のなかにかかれているものでありますが、妙行寺ではお葬式の場で拝読しておりますから、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

 「自分が先になるか他人が先になるか、その寿命の尽きるのは今日かも知れないし明日かも知れない。」このように、“死”ということを考えてみればとても不安になる方も多いと思います。

中には友引にお葬式をすれば“友達を引き連れていく”や、四十九日が三月(みつき)にかかれば“始(し)終(じゅう)苦(く)が身につく”という迷信に振り回される方もいます。本当は分かっていると思います。友引にお葬式をしても、四十九日が三月(みつき)にかかっても、それらの事が原因では亡くならないということを。ただ、自分のいのちだから分かっていても振り回されるのではないでしょうか。であればこそ、“自らの死”というところを解決できれば何も問題にはならないはずです。

今日ともしらず明日ともしらずでも、いつ、どこで、どんな亡くなり方をしても、還っていく所は浄土といわれるたった一つの場所です。そこには私たちよりも先に亡くなられたすべての方が待っていてくださります。先でも後でも私たちには再び会える世界、語りあえる世界があります。ありがたいですね。しかし、それだけではありません。先に亡くなられたすべての方が仏さまとなって命終わった瞬間には私たちのもとに還ってきて、三百六十五日、二十四時間、飽きることなく怠ることなく、私たちの為だけに心配し、案じ続け、はたらき続けてくださっています。安心ですね


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